|
日本未来の党(にっぽんみらいのとう、)は、日本の政治団体。2012年11月27日に結成された日本未来の党(以下、旧未来の党)を離党した嘉田由紀子滋賀県知事と阿部知子衆議院議員によって結成された。旧未来の党でも代表であった嘉田が引き続き代表を務めていたが、2013年1月4日に辞任表明、1月20日に阿部が代表に就任し〔 〕〔 〕、2014年(平成26年)12月31日に解散した〔。 == 沿革 == 前身となる旧未来の党は2012年11月27日に嘉田滋賀県知事によって結成され、小沢一郎が率いる国民の生活が第一(届出略称:生活)と減税日本・反TPP・脱原発を実現する党(届出予定略称:脱原発)の全国会議員やみどりの風の衆議院議員、社会民主党内で福島瑞穂党首と対立していた阿部知子衆議院議員が合流した〔 〕。しかし、12月16日に行われた第46回総選挙では嘉田が小沢と組んだことを嘉田の支持者が批判、それまで一貫して嘉田を支持してきた地域政党の対話でつなごう滋賀の会が自主投票とするなど足並みが揃わず苦戦。解散時の61議席に対して獲得議席は9議席に留まった〔 〕。合流勢力のうち、みどりの風と、旧「脱原発」の母体となった地域政党である旧減税日本は系列候補を当選させることができなかった。 選挙後、まず減税日本が地域政党としての再出発を表明。さらに嘉田代表が社民党出身の阿部知子を共同代表とする人事案を提示したことをきっかけに、嘉田・阿部および飯田哲也代表代行(落選)らと国会議員のほとんどを占める旧「生活」系の対立が表面化〔 〕。12月27日、旧「脱原発」の亀井静香が離党(その後、みどりの風に入党)、小沢一郎に近い旧「生活」系議員15名は旧未来の党を名称変更する形で「生活の党」を発足させ、嘉田・阿部・飯田は生活の党には加わらず、旧未来の党の名称を引き継ぐ形で新たに「日本未来の党」を発足することになった〔 〕。 その結果「日本未来の党」という会派は衆参ともになくなっている(一人会派は認められていないため)。 滋賀県議会における知事と党首の兼務解消要求決議可決を受け、2013年1月20日、都内で結成総会を開催し、嘉田の代表辞任と阿部の新代表就任を正式了承した。嘉田は政策アドバイザーに就任することが決まる〔。 同年5月10日、阿部代表が国会内で会見し、みどりの風に合流する意向を表明した〔 〕。 2013年5月17日、国会内でみどりの風の谷岡郁子代表と記者会見し、政治団体としての「日本未来の党」を残存し、阿部が代表職を続投する形で、みどりの風に入党することを明らかにし、代表代行に就任する。 これ以降党としての表立った活動は見られず、公式サイトも2014年7月時点で閉鎖され、跡地は「滋賀県知事が代表になった日本未来の党」と称しているが未来の党とは無関係なアフィリエイトサイトになっている。 当初は阿部の国会事務所を主たる事務所として届け出ていたが、2013年12月31日時点では元清瀬市議会議員の事務所所在地に移転した。 2014年(平成26年)12月31日に解散した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本未来の党 (政治団体)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|